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裏千家 茶杓

 

 

茶杓とは、お茶をすくう道具です。

はじめは中国から伝えられた象牙製のものでしたが、日本では竹を削ってその形を作って以来、竹の茶杓が使われるよになりました。

竹の節の位置によって、真・草・行に分かれます。

 

お茶をすくう部分を『櫂先(かいさき)』、節から櫂先に向かう筋を『樋(ひ)』、櫂先と反対側の端を『切止(きりどめ)』と呼びます。

茶杓を拝見する際は、節から先の部分は触れないようにします。柄杓も同じですね。

 

 

 

 

 

日本一有名な茶杓

 

 

 

茶道は武士の間の上流階級の人たちが、楽しむために行われていました。

茶道の頂点にいた千利休は大きな権力をもっていました。当時、利休は日本で天下をとっていた豊臣秀吉の近くにいて、政治にまで影響力を及ぼすほど権力をもっていました。

 

理由は諸説ありますが、秀吉に利休は、死罪(切腹)を命じられてしまいます。1591年、罪人となった利休は、護衛が付く中で京都から大阪にある堺へと船を出すことになりました。

利休には多くの弟子がいましたが、このとき船着き場で利休を見送った人物は古田織部(ふるたおりべ)と細川三斎(ほそかわさんさい)だけでした。

 

当時、日本で最も権力のある秀吉から、死罪を言い渡された利休を見送ることは、自分も罪に問われる可能性があり、命がけのことを二人は行ったのです。

二人に感謝した利休は、自ら二本の茶杓を削ります。最後の茶会で削った茶杓を用い、それぞれ「泪(なみだ)」という茶杓を古田織部に、「命(ゆがみ)」という茶杓を細川三斎に与えます。

その後、古田織部は「泪の茶杓」を入れるための筒を作ります。黒色の漆が塗られ、長方形の窓が開けられていて、この筒を垂直に立てると位牌のように見えます。古田織部はこの筒に「泪の茶杓」を入れ、そこに開けられた窓を通して、茶杓に対して礼拝を行ったといいます。

 

細川三斎に送られた『命』については、焼失して残っていないとされています。

 

 

茶杓には『銘』がありますが、長くなりそうなので次回に・・・。

 

 

『無名』です。

 

 

 

 

 

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